「障がい」などの社会的レッテルについて

昨日、今日と、教職課程必修介護等実習で某養護学校に行ってまいりました。


その養護学校が主に扱う生徒は、知的障がいを背負う子どもです。
一般的に養護学校の生徒のイメージで言うと、
非常に重度で、どうしても「普通の」学校に行くことができない、
そんな感があるのですが、この学校の生徒は違う。
自力での通学を前提とする方針、
そして職業教育を通じた、高卒後の就職を目指す観点から、
知的障がいは負っているものの、
一見「普通の」生徒にしか見えない生徒がほとんどなのです。


まぁその養護学校について、
いろいろデリケートな点もあるので深く述べることもできませんが、
ただ一点、私が気になったこと、というか特に考えたことを申し上げると、
その一見「普通の」生徒がなぜ養護学校に来なければならないか、という点です。


私たちは普段生活する中にあって、
特にこの学校の生徒で多い、自閉症を背負う人と出会うことは少ないですね。
自閉症の人の特徴としては、アスペルガー症候群とかいろいろあるのですが、
特に注意したいのは、
コミュニケーション能力が「普通より」劣っている、という点です。
まぁここでの「コミュニケーション能力」ってそもそも何やねん、ていう点について
説明するのが難しいのですが、
例を挙げれば、これは私たちにもよくあることですが、
複雑な話題について、口だけで一方的に説明したら相手には伝わりづらい、
あるいは聞き手のこちらとして理解できない、ということであり、
特に、この学校の生徒についていえば、
知的障がいを背負っているがために、
そのコミュニケーションの前提となる知識が乏しく、
コミュニケーションが成立しづらい、
というようなものであるということができるかと思います。


この養護学校の目指す点として、
そうした生徒が、最終的に「一般の」生徒と同じように就職できること、
にあるわけです。
コミュニケーション能力の乏しい人が新しい職場に入ったとき、
「空気」を読めない、だとか、人の嫌がるかもしれないことをする、だとか、
あるいは職場での指示を理解できない、だとかいう問題を抱えていたままだと、
それが例えば職場の営業に影響したりだとか、
あるいは新入社員の立場にとっても
職場でのいじめにあったりだとかいう問題に直面してしまい、
そして職場を辞めざるを得ない、という場面に遭遇するかもしれません。
そうした事態にならないよう、
社会で生きていくというスキルについて、
さまざまな実習を通して身につけさせていくのです。


ただ、私がどうも引っかかったのは、
その指導、就業支援がなぜ特に養護学校で行われなければならないのか、
ということです。
確かにそうした特別な支援を行うには
「普通の」学校では行いづらいという問題点があります。
つまり、ではそうした生徒のための養護学校なんていらない、
などといえる問題ではないということです。
しかし、「養護」学校に通う生徒であるがゆえに、
就職に支障をきたす例も少なくないという逆の問題点も孕むのです。
世間では、障がい者差別について、徐々にその熱が冷めてきているのは事実ですが、
しかし、それでも抵抗があることも事実です。
そうした中で、障害者雇用の必要性を認識しつつも、
養護学校の知的障がい者というそれだけのキーワードだけを理由に
多くの企業がそうした生徒の就業を現実には拒む例もあるのです。


私がこの事実の根底にあるのではないかと言う点は、
自閉症や一部知的障がいは果たして病気であるかどうか、という点でもあります。
それは知的障がいの医学的根拠が理由であるのではなくて、
社会的な見方、サンクション、つまりラベリングの問題なのです。
自閉症や知的障がい者に対して
「この人は病気の人なんだ」と、率直に思ってしまえば、
その人があたかも伝染病の保持者でその人から避けるがごとく、
距離をとってしまう心理的傾向があるようです。
(まぁ事実、私もこの学校に来るまで
自閉症や一部知的障がい者の実際を知らなかったために
ある種の先入観を持っていたのですが。)
つまり、その人が医学的根拠に基づく病気か云々は置いておいて、
社会的な観点において「病気」と決め付けているという事実があるわけです。


この養護学校では、特別支援を行うだけに、
生徒に対してもきめ細かい配慮を行っています。
そして、それだけに、実に生徒が生き生きとしている。
一般的な学校の、教師の与える圧力に屈して暗くなっていたり、
あるいは逆に、教師などそっちのけで学級崩壊するような、イメージは関係ない。
授業中に発言を求めれば、
教師から指名するまでもなく、次々と挙手するし、
また、挨拶も実に積極的に行われている。
そうやって生徒がのびのびと個性を重視されて成長してきた、
そして実習などを通して社会的な最低限のスキルを身につける
最低限の努力はしてきたのにも関わらず、
実際に雇用に至らないケースが多い背景にあるのは、
障害者雇用に対する社会的責任は置いておいて、
確かにそうしたある種のハンディを背負った人を雇用し続けるだけの自信が
現実に企業にない、ということもあるでしょうが、もっといえば、
障がい者」という社会的レッテルが生徒に張られている所以でもあるのではないか
と私は思えてしまったのです。


小学校中学校教職課程の必修でもある介護等体験のうち養護学校体験は、
「障害のある児童生徒等の介護等」に趣旨があるようですが、
私はそこに、もっと根本的に、
「教職免許を持つ者、養護学校障がい者に対する先入観を拭い去れ」
という命題が付されているのではないか、と確信したわけです。
また、希望を言えば、
それは「教師としての資質の向上」の一貫を超えて、
もっと、イメージではなく現実直視を通して社会的に注目されることによって
そうした社会的ラベリングから脱却していく必要性があるのではないか、
という結論に、とりあえず二日間と言う短い期間の中で、私は至ったのです。