日本人と英語について

「日本について」としたらまた漠然としたテーマですが、
今回大したことを述べることは出来ません。
ただ、なんとなく感じたことだけ、とりあえず記録しておこうと思います。


日本人にとって「日本」とは、
まぁ強い国であり、先進国であり、などといったイメージがあるかもしれません。
そして、強くて、先進国であれば、
外国から見て、日本について少なくともある程度の知識をもとに
イメージされるものである、と考えるものですが、
残念ながらそれは違います。
イギリス人にとって、日本人とは単なるアジア人であって
中国人や韓国人と同じような人間としか見ていないわけです。


まぁよく考えてみれば、
日本人だって、西欧人について、
どれがイギリス人で、どれがドイツ人で、どれがイギリス人かなんて、
はっきりと区別することは簡単ではない。
まぁ結局それと同じです。
知識がある人にとって見れば、
言語やある程度の文化などで区別することは出来る。
でも、それ以上に、フランスとイギリスの違いについて説明できるかというと
それも難しい。


イギリスにとっての日中韓など、そんなものです。
東アジアの国の人の顔は同じようなものであって、
文化でさえも、オリエンタリズムの視点に立てば
結局似たようなものに過ぎない。
結局は、ヨーロッパ人と違う、何か奇妙な「人種」としか
思うことが出来ないのかもしれません。


だが、それでも知識のある人にとって見れば、
日本人とは、誠実な人々である、というイメージがあるようです。
韓国人についてのイメージは良く知りませんが、
中国人は自分のことしか見えていない人である、
というように映るみたいであり、
対照的に日本人は適応がうまい、というイメージのようです。


とはいえ、イギリスに来て思うことは、
中国人の多さであり、逆に日本人をなかなか見かけないことです。
もちろん、同郷の人間が他国にいれば
そこに出て行くときにその人間を伝っていけばいいわけで、
その意味で有利になる。
一方で、日本人は中国人ほどにそうしないものだから、
結局、英語も覚えなきゃいけないし、
適応していかないとやっていけない、
とまぁ、こんな風にも考えることが出来ます。


ただ、ひとつ間違いなく言えることは、
日本に対するイメージがなかなかない中にあっては、
結局、英語という言語や、相手国の文化という知識がなければ
相手と同等に対話することが出来ないということです。
イギリスの英語というのは幸いにも非常に聞き取りやすく
他国民にとってはありがたいところですが、
それはおいておいても、
イギリスの多くの都市において、
どんな人種であろうと、どんな出自であろうと、
結局は英語を通じてやっていかなければならない。
そういう文化において、
少なくとも相手に自分の言わんとしていることを伝えられるような程度の
英語の能力をもっていなければならない、というのは
事実であって、そして使命でもあるように思えるわけです。


今、このグローバリゼーションの中で必要なこととして
よく議論されることは、
「日本(人)が世界で活躍するために
英語を勉強する必要がある」という視点に基づくものです。
しかし、それが間違っていることは
今ここで述べたことで証明できることと思います。
今本当に求められることは、
その是非に基づいて、
英語が必要が否かを議論することではなくて、
「日本が日本であるために、
そして日本人が他国で生き抜かなければならない時に
その道具として英語が求められる」ということではないでしょうか。
必要なのは、単なるナショナリスティックな議論ではないのです。
英語を勉強するということは、
(将来グローバリゼーションの波に埋もれるかもしれず、その中にいる)
自分を守ることと同様のことであるわけです。