日本の大衆飲酒文化の欠陥

日本人にとって、欧米人は「酒好き」であるというイメージがあるわけですが、
それは一面で正しくて、一面で間違っています。
とりあえずイギリス人を例に考えてみます。


正しい一面というのは、
イギリス人はお酒を「量的にも」「質的にも」ものすごく飲むということです。
とにかくアルコールに強い。
日本人といえば、ある人は強くてある人は弱い、という感じですが、
イギリス人は、(特に男性は)飲まない人がいないというくらい飲む。
そしてそのほぼ全員が飲む。
日本人の中には、ビールやチューハイは飲めても、
ワインや日本酒、焼酎までは飲めない、という人もいますが、
イギリスでは、普通に食前、食中にワインが出てくる。


そういえば、
もちろん飲酒運転に関しては日英どちらもタブーのようですが、
同じく禁止の未成年飲酒に対しては、少し事情が違うようです。
日本で「お酒は20歳から」と
未成年飲酒に対して、成人からは未成年に対して警戒の目が配られ、
未成年から成人に対しては、隠れて飲む習慣が確立する、という、
まぁ未成年飲酒に対して、一種独特の文化が確立していますが、
イギリスでは、(とりあえずあるところでは、もしかすると全体で)
未成年が飲酒することを、成年の側も了承している感があります。
結果的に、日英ともに、
未成年から飲酒している、という人の割合は高いようですが
そのきっかけに関しては、事情が違うようです。


一面で間違っている、という点は、
イギリス人は、毎日毎日は飲まない、ということです。
日本人は、飲む人は毎日飲む。
サラリーマンが仕事が終われば、
飲みニケーションで居酒屋へ行き、
居酒屋へ行かなくとも、家に帰ればビールを飲む。
日本にいてそれが当たり前に思えますが、
イギリス人は、休日や特別な日に楽しむ、という習慣がある。
別に付き合いで「飲まされる」ということもないし、
また「酒に飲まされる」ということもない。


文化の面でもう一つ日本とイギリスで違う点は、
大衆酒場の違いです。
日本の場合、いわゆる居酒屋は、
会社やサークルや諸々の付き合い関係で
酒を飲みにいき、そして付き合いを広めていく、
というような場であるわけです。
一方でイギリスの場合の、いわゆるパブというものは、
わざわざ行くようなところというよりは、
もともとの付き合い関係の中で、
ちょっと「飲みにでも行こうか」的なノリで
酒を飲みにいく場であるわけです。


しかし、それ以上に重要な点は、
前者では、「酒に飲まされる」ことで、
すなわち、酔っ払うことこそが重要であると考えられるのに対し、
後者では、「酒に飲まされてはいけない」、
すなわち、酔っ払ってはならないし、
むしろ酔っ払って騒いだら追い出されるくらいであるわけです。


これに関連して、話を未成年の飲酒に戻しますが、
日本の未成年飲酒とイギリスのそれとで違う点も
それに非常に似ている、ということです。
つまり、日本で未成年が飲酒すると
騒ぎまくって、最悪の場合急性アルコール中毒になるほど、
無茶な飲み方をする。
しかし、イギリスの未成年飲酒は、
時には食事とともに、お酒を楽しむということについて、
成年から教えられることもあるであろうからか、
無茶な飲み方はしない。


つまり、こうしてその違いを見てみると、
イギリス人の飲酒文化にあって日本人のそれにないのは、
お酒を楽しむ習慣である、ということができるかもしれないわけです。
というか、
昔はそれがあったかもしれないけれども、
いつの間にかそれを失ってしまったのかもしれない。
信田さよ子が『依存症』(文春新書)の中で述べるには、
昔はお酒というものは年中行事に楽しむものとされていたが、
今ではお酒の大衆化で安価に手に入れることができたことによって
お酒はいつでも飲めるようになり、
無茶な飲み方もできるようになってしまったようです。


日本人のお酒を楽しむ習慣はどこへいったのか。
そしてそれを失わせたのは何か。
その議論はまたの機会に譲ることとしましょう。
しかし、少なくとも今ここでは、
「お酒の楽しみ方」について、
今一度各自が見直す必要があるのではないか、
ということはいうことができるのだと思いますし、
またむしろ、それによってこそ、
飲酒を楽しむことができるのだと思います。