食育について

まぁ食育についてと言っても、食育に関する知識はほとんどないんですが、
食育の原点の問題、すなわち食をどう考えるか、ということが今回のテーマです。


食について、日本人は何気なく過ごしています。
よくあるイメージで言えば、ごはんと味噌汁と、何か主食で鮭とか、
あと肉じゃがとか惣菜ですか。
まぁそういう和食もあるわけですし、
中華、洋食も出る。
それを総合的に考えたとき、「和」を重んじているように思えます。
この「和」とは和食の和ではなくて、
たとえば、主食だけじゃなくて、
ごはんと味噌汁と・・・いろいろいっしょに交互に食べて、
それぞれを噛み締め味わって食べる、ということが
重要視されている、ということです。


食育について最近言われ始めたのは、
背景として、ひとつに食について粗末に扱うこと、
たとえば、ファーストフードばっかりの食事だとか、
あるいは、食べ物を粗末に扱うだとか、そういうことが目立つようになって、
もちろん料理教育もそうだし、
食に対する道徳的な側面も学ばせる必要がある、
といったようなことがいわれ始めたのもあるわけです。


とはいえ、そういった議論がなされる、ということは、
この文化の根本的なところに
食の「和」を大事にするという精神が宿っているからである、
ということもあるのではないか、と考えることもできるわけです。


さて、イギリスにきて痛烈に思うことは、
食事に対する「飽き」です。
事前のうわさでは、「イギリスの食事はまずい」と聞かされ、
ほんまかいな、と思ってきてみたわけです。
すると、まぁ、日本的に「まずい」というわけではない。
別に口に合わないわけではないし、食べられないことはない。
しかし、何日もそれを食べつづけると、
次第に異変を感じ始めるわけです。
特別に味わいもない味を、毎回同じように繰り返していくことに
耐えられなくなってくるわけです。
しかも、困ったことに、
そういった「まずい」料理を、大量に食べることを要求されるわけです。


しかし、こっちの現地の人は、
それでもメシに対して、すごく楽しみにやってくる。
それらをガッツリ味わうこともなく腹の中に押し込む。
その限界がやってきたら、平気で料理を残す。
食べ物を粗末に扱って、中高生は、食べ物で遊ぶ。
はっきりいって日本では考えられない光景です。
まぁ、ここでそれが「ありえへん」といいたいわけではなくて、
まぁ、そういう文化なんだ、ということです。


こっちの先生は、ブリティッシュフードとはもともと、
ティーとケーキを味わって云々だったが、
次第に、チャイニーズフードやインディアンフードが流入して、
ブリティッシュフードに対して、
人々は愛着を持たなくなった。
むしろ、今では好まれるのは、インディアンフードである。
と、まぁこんなことをいっていたわけです。
ここから、何がいえるのか、というと、
とにかく、ブリティッシュフードとは、
日本での貴族のイメージのように、
紅茶を味わって飲む、というようなものだったが、
料理のバリエーションが増えるにしたがって、
料理に対して、深く自分の考えをもたなくなった。
まぁそんな風に考えられなくもないわけですよね。


話は戻って。
結局、日本で、少しくらい食事に対する考え方が
乱暴になったくらいで食育などと騒がれるのも、
実は、それでもけっこうまだ食に対して
大事に考える習慣が残っている証拠である、
と考えることもできるわけなのです。
どんなにファーストフードに依存しても、
マクドやケンタばかりいっているわけではなくて、
私たちは吉牛や松屋に行って牛丼を食べるわけです。
しかも調味料に対してはうるさい。
日本が、どんなにライフスタイルが変化しようとも、
そうした「和」を重んじる食文化を維持する限り、
食に対して、全体的に食を粗末に扱うようには、
到底なりはしないでしょう。
食育の議論とは、もちろん重要な議論ではあるものの、
実は平和な議論であるということができそうです。