集団主義と個人主義について

よく日本人は「個」が確立されてない、と言われます。
まぁ、そこで「個」とは何だ、「集団」とは何だ、
といわれると、その答えは非常に難しいのですが。
とりあえず、その「個」を「集団」のなかにあっても
自分自身で理性的に考える力を持つこと、としましょうか。


海外にやってくると、
(同じ東洋人の中国人や韓国人についてはよくわかりませんが。)
実は日本人が非常に目立つんですよね。
それは、日本人は自分たちで集団をつくるからです。
そして、その集団で固まって行動する。
そして道を歩くときも、ショッピングするときも、
同じような、黄色い顔して、黒い髪なら、
ああ日本人やな、とすぐ見分けがついてしまうわけです。


つまり、日本人がそうやって集団行動を好むということは、
逆にいうと、個人行動を海外で取りづらい、
いや、あまりとろうとしない、と言うことができるかもしれません。
それはなぜかというと、
日本よりも海外は「危ない」と、外務省や旅行会社に言われるからであり、
また、自分でリスク管理できる自信がないから
集団の中で行動していればいいや、ということになるわけです。


とはいえ、しかし、そういった考え方は、
「個」が確立された地域の人にとって見れば、
考えにくいことでもあります。
よく日本国内を旅行していると外国人旅行者を見かけますが、
そういった人たちは、だいたい一人だとか、
あるいはカップルで行動する。
京都にいても、大人数のグループで
新京極だとかにいる姿は見かけない。
そうやって個人行動をむしろ好む傾向にある、
ということができると思います。


さて、今回私は、英語を勉強するクラスで
半日学んでいるわけですが、
もちろん、その授業スタイルは日本とは違います。
日本の授業スタイルは、
先生が教壇に立って講義を行うという、系統主義が多いわけですが、
欧米の場合は、それが、
教師が生徒の間に入って授業をするという、経験主義が多いわけです。
で、もちろんこちらのスタイルは経験主義です。
教科教育学的な議論で意外と見落とされてしまうのではないか、
とこちらにきて思ったことが、
経験主義の、条件的な問題です。
それが、生徒の「個」が確立されているか否か、
つまり、生徒が、たとえば発言しようとするときに、
その発言をして間違ったときのリスクを考えて
発言をやめようとするか否か、という問題です。
そこでもしやめないで発言に踏み切ることのできる環境にあれば
経験主義というのは成り立ちうるわけです。
しかし、発言して間違えたとき恥ずかしいなどと思ってしまう、
あるいは間違えなかったとしても、
友達から「あいつ、目立ちたいんちゃうんか」と思われることを警戒して
発言しようとしなくなってしまう環境にあっては、
経験主義というのは成り立ちにくいわけです。
逆に、先生の側から見ても、
どうやって質問すれば、生徒が答えてくれるだろうか、
という難解な問題を解決する余裕もないために、
結局は系統主義に落ち着いてしまう。
まぁこれが日本でよくあるスタイルです。
まぁここで系統主義がいいか経験主義がいいか、
という、教育改革に起こりやすい不毛な議論はおいておいて、
文化的にいずれかに落ち着く傾向がある、と仮定しましょう。
すると、日本は系統主義的な文化であるし、
欧米は経験主義的な文化である、ということができる。


さて。よく、日本の外国人教師とか、
あるいは、海外経験のある日本人教師がいうことは、こうです。
「授業中、「何か質問はないですか」と問い掛けると、
日本人は発言しようとしない、にもかかわらず、
授業が終わったらそっと私のところへきて質問してくる。
私の国では、授業中に積極的に学生は質問する。
私のところに質問しては、その問題を全体で共有できないから
今、この授業中に質問して、その問題を解決させなさい。」
まぁこれが日本で成り立ちにくいのは、
日本が、系統主義的文化であるからなのです。
この教師が、自らの理想をいくら追求しようとも、
それが学生のやる気の問題ではなくて、
文化の問題である、ということに気づかなければ、
いっこうに、自分の授業は改善されないのです。


これと逆に考えてみれば、
系統主義的文化の下で育った私たちが、
経験主義的な文化で学ぼうとするならば、
その文化に従って、行動をしなければならないわけです。
先生は、もちろん経験主義的である。
だとしても、もし、経験主義に適応できないならば、
それは、母国の文化、
すなわち「集団」を重んじる文化が邪魔している証拠である、
ということができるわけです。


さて。前置きが長くなりましたが、
一応これで議論の土台は出来上がりました。
日本人が、欧米に集団で勉強しにくる、という
まぁ今の私たちのようなスタイルは
果たして妥当であるのかどうか、という問題です。
その答えをいうと、はっきりいって、効率が悪いと思います。
経験主義的な授業の下でも、
相変わらず、日本人学生は戯れ、
そしてそのために、先生の質問にも積極的に答えようとできない。
まぁ非常に文化的な問題ですが。


だとすれば、もし本当に海外に勉強をしにやってきたいならば、
一人身でやってくるのが妥当なのでしょう。
一人身であれば「個」も確立しやすいし、
また、それでいて経験主義の下でも適応できる。
留学とは、本来このようなスタイルであるべきであるわけですし、
日本人集団で学びにいくスタイルでは、
文化的なものを学ぶことは、残念ながらあまり望めないのかもしれません。