教育実習を振り返って その1

教育実習を終え、
教師の仕事をわずかばかりだがさせていただいて思ったのは、
この仕事が想像以上にハードだなということである。
教師の仕事は、一般にイメージされるような
教壇に立つ仕事だけではない。
教えるためにはただ知識があるだけではなく、
教えるにはどうしたらいいか、
つまり授業づくりをしなければならないし、
そのための教材研究が必要である。
また、生徒への指導は教壇に立つだけではなく、
生徒指導や特別活動など多岐にわたる。
さらに、とりわけ私学において言えることだが、
「お客様」として受験生と新入生を獲得しなければならず、
そのために広報活動をしなければならない。
ここまでハードな仕事をこなすには、
体力も必要だし、精神力も必要である。


ではここまでハードな仕事を現場の教師たちはなぜできるのか。
それは、生徒を理解しよう、とか、
あるいは生徒に何かを伝えたい、など、
熱い教育的情熱があるからであろう。
もしそれがなければ、
学校経営に影響が出ることは勿論、
教材研究もなおざりになり授業づくりも適当になるし、
生徒も適切に発達しないことになりかねない。


教師の仕事がただ単なる「仕事」と違うのは、
生徒という子どもの発達に大きな影響を及ぼすからである。
教師の発言一つで、極端な話をすれば、
生徒は自殺をするかもしれないし、
逆に社会を統率する人間になるかもしれない。
授業づくり一つ工夫することで、
生徒はその科目に興味を持ってくれるかもしれないし、
逆に嫌いになるかもしれない。
その自覚さえあれば、すぐれた教師になるだろうし、
できなければ、まさに「反面教師」になる。
しかし、その自覚をすることこそが難しいことだし、
またプリンシパルな課題なのである。
つまり、教師が生徒を理解しようという姿勢を持つか持たないかで、
教育というものはいかようにもなるということである。


生徒の発達、つまり人間にかかわる仕事である以上、
教師の仕事に答えはない。
それは、単に数字を追えばいい仕事とは違うし、
とりわけ教育産業とは大きく異なる性質をもつ。
教師は常に答えを探して仕事をしていくこととなるが、
決してその答えは定年退職まで出ることはない。
ましてや、今ここで見つけた答えが、
来年同じであるとも限らない。
こうして自分なりの答えを、生徒理解の過程で常に探していくことこそ、
教師の仕事の本質なのである。
常にその答えに飽くことなく立ち向かい、
常に自分なりの納得できる答えを探し当てている者が、
優れた教師なのではないだろうか。