大森美香のジェンダー観

以上の三作品を通してみたとき、大森作品の展開において
いくつかの事件が作品中で起こることによって、
登場人物たちの関係性が変容していくことが描かれていることがわかる。


まず作品の核になっているのは、「秘密」とそこからの解放である。
たとえば、「きみはペット」においては
自分が素直になれないことで男をペットにする、ということだった。
風のハルカ」においては、
両親の離婚という、家庭崩壊だった。
マイ☆ボス マイ☆ヒーロー」においては、
本当はヤクザであること、年齢を偽っていることだった。
秘密とは、関係性の面では閉鎖的なものである。
秘密とは、他の人に言えない何かであり、
何かの問題から抑圧されていることであるといえる。
その秘密からの解放を通し、
主人公たちが何から抑圧されているのか、ということが
次第に明らかになっていくのである。


登場人物たちの関係性が親密になっていくのも、
もちろん単線的な物語の展開がなされるわけではない。
主人公をはじめ登場人物は、さまざまな壁にぶつかりながら
前に進んでいくわけなのだが、
もちろん、壁にぶつかったときには考えがネガティブになる。
嗜癖はその逃避行動の象徴であるといえる。
大森作品においては、
きみはペット」であれば、喫煙、泥酔するほどの飲酒、
風のハルカ」であれば、親子関係の共依存アダルト・チルドレン
マイ☆ボス マイ☆ヒーロー」であれば、喫煙、ギャンブルであった。


ギデンズ『親密性の変容』によれば、
嗜癖性は「男性性の苦難」において大きな役割を果たすとする*1
男性性とは「我慢」が不可欠なものである。
そして、そのゾンビになる中で、人々は狂い始め、
嗜癖行動へと逃避するのである。
つまり、ここから大森の描く「秘密」とは男性性であると
考えることができるのである。
つまり、そこから解放させるには、
「男女の対等な立場を認め、男性性と経済的道具性のつながりを
解消していかなければならない」*2のである。
つまり、それは男性性に満たされた人が逃避してきた
「自己介入」を始めるということによって実現する。
とりわけ、「男性が女性にたいして密かに感情的に依存していることを認識」*3することなのである。


ロマンティックラブのような関係性は、
これまで男女の支配関係を構築してきた。
特に、女性にとってのロマンスとは、
「望んでも手に入れることができない父親を求めての」*4探求であり、
愛情への強い憧れは、父親との関係性の中で
構築されていくものなのである。
特に「風のハルカ」はこの点を忠実に描いていた。
ハルカが描いていた「お嫁さん」への憧れとは、
まさに家族を捨てた母親への敵意を源にするものであったのである。
また、「きみはペット」のスミレや「マイ☆ボス〜」の真喜男は
作品中で男性性を象徴するキャラクターであり、
スミレは東大卒エリートのキャリアウーマンというように、
「仕事」という男性性に支配されたキャラクター、
真喜男は「男は構えてろ」の台詞に象徴されるように、
まさに暴力性を通して男性性の象徴として描かれていたわけである。


大森作品は、主人公たちがそうした内なるジェンダー意識と葛藤を繰り広げていく。
特に、それまで当たり前としていたアイデンティティ
何らかのきっかけをもとに危機を迎えることによって、
主人公たちは、その内なる意識の矛盾に気づいていくのである。
きみはペット」であれば、左遷であったし、
風のハルカ」であれば、アスカのために働くという意義を失ったことだったし、
「マイ☆ボス〜」であれば、学級委員になったものの威厳を喪失したことだった。
しかし、関係性の中でそうした経験をすることは、
関係性の中で何がいけなかったかを顧みるきっかけとなるのであり、
新しい関係性の構築のきっかけにもなるのである。


特に、その顧みる行為の上では自己の鏡となる他者の存在が重要となる。
ジェンダー概念でいえば、同性・異性それぞれにおいて
主人公の変容に同調的なキャラクター、対立的なキャラクター
それぞれが必要となってくるのである。
そこで、大森作品の中で考えるにあたり、これらキャラクターを
1. 主人公に同調的な同性
2. 主人公に対立的な同性
3. 主人公に同調的な異性
4. 主人公に対立的な異性
以上のように整理してみてみることとする。
すると、「きみはペット」であれば、
1:栗本(乙葉) 2:ユリ(鈴木紗理奈) 3:モモ 4:蓮實
風のハルカ」であれば、
1:木綿子 2:アスカ 3:猿丸 4:正巳・陽介
マイ☆ボス マイ☆ヒーロー」であれば、
1:桜小路 2:美喜男 3:ひかり 4:南
と以上のように、各作品においてきちんと整理されているのである。


とはいえ、関係性の変容は単線ではない。
大森作品の注目すべき点として
旧来のアイデンティティの敗北が描かれているのである。
きみはペット」であれば、蓮實との失恋とモモをペットとする関係の終わり、
風のハルカ」であれば、正巳との破談、
「マイ☆ボス〜」であれば、真喜男の逮捕と退学処分だった。
一方でそれは、新しい関係性を実らせる直接のきっかけにもなるのである。
きみはペット」であれば、モモとの新しい共棲生活の始まり、
風のハルカ」であれば、「風のレストラン」と猿丸との出会い、
「マイ☆ボス〜」であれば、クラスからの卒業証書授与であったのである。


純粋な関係性は、自己の不断な再帰的点検によって可能となる。
だが、そこでは他者という存在が不可欠なのであり、
自己と他者の間には、信頼関係が必要となる。
その信頼関係は、計算不可能な生活経験によってこそ生まれる。
相手に対し自分を開示すること、
すなわち秘密から自らを解放させることによってこそ、
その信頼関係は意味をなすのである。
そして、大森が描きだすその実践可能性は、
関係性の変容において気付かれていく、
関係性のありがたさ、つまり「今を楽しむ」ということであるといえるだろう。


ただし、ただ単に「今を楽しむ」こととは、
享楽的に人生を過ごしていくこととは異なるのである。
この点の区別を映し出していくのは、
視聴者側の理解が十分でない以上、難しいことだろう。
大森作品の特徴としてよく言われることは、
軽快な作品展開と、そのコメディー性である。
しかし、そのコメディー性も、
なかなか理解されにくい大森の世界観を映し出すため、
いわば視聴者を大森ワールドに引き込むための
ひとつの戦略であるとも考えられるだろう。
そのコメディ性の裏にはどんなメッセージ性が
その作品の核としてあるのか、
そう考えていくと、大森作品の本当の意義について
見出していくことができるのではないか。
今クールで「エジソンの母」が放映開始されたが、
こういった視点で本作品を見てみると、おもしろいのではないだろうか。


以上。

*1:ギデンズ(1995)『親密性の変容』p.223

*2:ギデンズ(1995)『親密性の変容』p.231

*3:ギデンズ1995)『親密性の変容』p.232

*4:ギデンズ(1995)『親密性の変容』p.259