テレビドラマにおける「親密性の変容」と大森美香作品

昨年度の連ドラで個人的に特に印象に残っているものは、
プロポーズ大作戦」である。
今作は、主人公の健(山下智久)が
これまでずっと好きだった幼馴染の礼(長澤まさみ)の結婚を阻止すべく
過去にタイムスリップするというストーリーだが、
今作の面白いところは、
何といっても、その「タイムスリップ」である。
健の後悔を見かねた妖精(三上博史)が「タイムスリップ」をさせてあげるのだが、
ストーリーが進んでいくにつれ、
結局過去を変えてもどうしようもなく、
現在で自分がいかに前向きに物事に取り組むのかが重要であるということが、
今作の主題であったということができる。


私たちにとってこの「タイムスリップ」などは
虚構以外の何物でもないものなのだが、
それを虚構のまま描くのでなく、
つまりそのストーリーが現実性を全く帯びない作品として描かれるのでなく、
どこか私たちの心に響くものがあるように演出されているところに
作品中におけるその意義があるといえる。


同じく、昨年度はそうした虚構性を帯びた舞台でストーリーが展開される
ドラマが多かったことが特徴であるといえる。
たとえば「花より男子」は、貧乏なつくし(井上真央)が
道明寺財閥の跡取り息子の司(松本潤)と恋に落ちるという、
まぁ全くあり得ないわけではないだろうけれども、
しかし私たちにとってはほぼ起こりえない物語であった。
また、「パパとムスメの7日間」も、主人公の小梅(新垣結衣)とその父(舘ひろし)が
事故をきっかけに体はそのままに人格がまったく入れ替わり、
娘の生活を父が、父の生活を娘が経験し、互いの矛盾点を浮き彫りにするストーリーであった。
そして、「花ざかりの君たちへ」も、高校陸上アスリートの泉(小栗旬)にあこがれ、
彼に会いたい一心で女子である瑞稀(堀北真希)が男装し男子高に入学するというストーリーだった。


ここにあげた作品は、どれも高視聴率を残しているが、
やはりそれは、ただ単に虚構の物語としてストーリーを完結させなかったことに
要因をみることができるだろう。
そして、虚構性の向こう側に、
花男プロポーズ大作戦であれば恋愛・結婚、
パパムスであれば親子関係、
花君であれば、恋愛関係や友情関係が真のテーマであり、
そこでは総じて、他の何物でもなく感情によって規定される、
「純粋な関係性」にまつわるメッセージ性が含まれているのである。
つまり、どんな虚構性を帯びた作品であれ、
結局描かれているのは、私たちとなんら遠くない日常的なキャラクターの人生である。


しかし、私がこれら作品を見ていて個人的に感じることは、
ストーリーの結末として、
それまでの主人公やその取り巻きのアイデンティティ・クライシスが終わり、
結局キャラクター達は今後どうアイデンティティを再構築していくのか、
お互いの関係性を再構築していくのかという点が
ほとんど捨象されてしまっていて物足りないという点である。
若干ネタばれになってしまうが、
花男であれば、司が記憶を回復し自分が愛していた相手が
海(戸田恵梨香)ではなくつくしであったことを思い出したことで、とりあえず完結しているし、
(ただしこの後本作の映画化が予定されており、ここで完全に完結したわけではない)
花君も泉が飛んで瑞稀が退学しアメリカに帰り、
今後の恋愛展開を匂わすような結末でストーリーをしめている。
パパムスも互いの人格が元通り戻り、
互いの立場・気持ちを知り、親子愛・絆が深まったことで終わっている。
これらはすべて、アイデンティティ・クライシスが終わり脱構築が完了すると、
結果的に、また以前の、恋愛や親子といった、
それまでの社会的関係に規定される関係性へ収斂していってしまう。
ベタはベタでいいかもしれないが、どれもこれも同じではおもしろくない。


ただ、その中で少し違った趣向をもったストーリー展開がなされるのが、
大森美香が脚本を担当する作品である。
大森美香は、「カバチタレ!」「ランチの女王」「きみはペット
不機嫌なジーン」「風のハルカ」「マイ☆ボス マイ☆ヒーロー」といった代表作があり、
「不機嫌な〜」では向田邦子賞も受賞している。
大森の作品が他の脚本家の作品とどこが違うのかといえば、
キャラクター達の再構築の過程にあるといえる。
従来型のストーリーであれば、やはり恋愛や親子関係といった、
現在支配的な社会秩序に収斂していたものを、
そこに批判的な視点を介入させ、その対案を提示する点にあるといえる。
不機嫌なジーン」も、月9ではそれまでタブーとされてきた、
主役の二人が結ばれない、という結末にも挑戦している。
これは本人がインタビューの中で「意外性のある脚本家でいたい」と言っている点からも
その既存の体制への批判的な視線が作品に生かされていることが垣間見られる。


大森作品で特に目立つのが、そのストーリーに
「企業社会/仕事/お金」―「家族/恋愛」―「学校/学歴/キャリア」の三要素が
どこかに散らばらされている点であり、
そして斬新なテーマでそのトライアングルの再構築に取り組んでいる点が注目される。
先ほど、どんな虚構性の強い作品であろうとも
そこに視聴者が日常性を感じさせるものがなければ視聴率は高くない点を指摘したが、
彼女の場合であれば、その日常性にこのトライアングルを当て、
虚構性に、そのテーマの斬新性をあてはめていると考えることができるだろう。


そして注目すべき点は、ストーリーのどこかに、
主人公の「敗北」の経験が記述されている点である。
つまり、主人公が敗北を喫すれば、それまでの立場・役割に固執せず
新たな立場・役割でアイデンティティを再構築することが求められるのである。
たとえば、「きみはペット」であればスミレ(小雪)の蓮實(田辺誠一)との失恋であるし、
不機嫌なジーン」であれば仁子(竹内結子)の健一(黄川田将也)との失恋であり、
風のハルカ」であればハルカ(村川絵梨)の正巳(黄川田)との婚約の破談であり、
そして「マイ☆ボス マイ☆ヒーロー」であれば
真喜男(長瀬智也)が逮捕されたことで卒業が取り消され退学処分になったことだった。


大森作品の特徴は、その「敗北」を喫するイベントにあるといえる。
その点で、「敗北」を喫せずだらだらとそれまでの関係性を維持・復活させる
他の脚本家作品とは違う点である。
「敗北」の後、新たに構築される関係性こそが、
社会的関係でなく感情のみによって規定される、ギデンズのいう「純粋な関係性」である。
大森作品では、そうして恋愛模様や家族模様、学校のクラス模様において
ベタにアイデンティティの再構築が描かれない、
キャラクター達の感情そのものの行方が描かれるからこそ、おもしろいのである。