WBCを「楽しむ」理由

巷ではWBCで盛り上がってますね。
でも私は日本が勝って欲しいとは特に思いません。
私は「勝つこと」よりも、
野球を「楽しむこと」を重視するからです。


私は野球観戦が好きです。
好きになったのは幼稚園の頃からで、
もう観戦歴は10年以上になります。

野球観戦を始めた頃は、
巨人の監督がミスターでした。
ミスターが監督だった時代の特徴は、
「野球はおもしろい」と言われていたことです。
例えば、2000年の巨人が優勝した試合。
あれは巨人は中日と戦っていましたが、
9回表までに0−4で負けていた、まさに負け試合、
その中で、9回表の江藤の満塁ホームランで同点、
そして二岡の逆転ソロホームランでサヨナラ、
というように、負け試合をひっくり返してまで
優勝を決めるという、まさにドラマのような試合。
野球は9回裏ツーアウトまでわからない、
そのおもしろさがあったものです。

それが、ミスターが監督を辞めてから
なんとなく変わった気もします。
きっかけは、2003年の阪神優勝だったかもしれません。
当時の星野監督が言っていたことは、
「ネバーネバーネバーサレンダー」であり、
「勝つため」にあきらめるな、と言うこと。
しかし、この星野監督の意図と言うものは、
彼の阪神監督就任の意図からしても
伝統ある阪神が勝つことで野球を盛り上げよう、ということ。
ミスターに比べて勝つことに執着した星野監督でさえ
野球を盛り上げようと考えていたわけです。

ミスターと星野監督の共通点とは、
見ている人にとって野球を楽しめるようにすること。
ミスターのあのパフォーマンスも
星野監督の勝つことへの執着も
実は野球を面白く、
また盛り上げるためのものであったはずです。

ところが、どうでしょう。
前回のアテネ五輪にしろWBCにしろ、
求められていることは、
野球で「勝つこと」のみである気がします。
手段であるはずの「勝つこと」が目的化するからこそ、
自国ひいきであるようにも思われる誤審が出るわけだし、
また、選手が(例えば藤川が)プレッシャーを感じる、
そう考えることもできるのではないでしょうか。

私はどこからこう変わったのかわかりません。
ただ、ひとついえることは、
今の野球にはもはや「勝つこと」しか
求められていないことなのです。


観戦する野球というもの、
つまりプロの野球というものにとって、
観戦者が「楽しむこと」、
楽しめることが重要なのではないでしょうか。
野球における観戦者に楽んでもらうこととは、
野球でしか味わえない楽しさを提供することです。
先ほどのように野球と言うものはサッカーなどと違い
9回裏ツーアウトまで勝負はわからないということが
そのひとつの例だと思います。

しかし、「楽しむこと」ばかり考えていて
負けてばかりいては、
もちろん、勝負としての野球として情けないのです。
そして、プロ野球というものは
勝った後と負けた後の現実的な格差は非常に大きい。
負ければ選手の年俸は下がるし、
勝てば選手の練習環境を
スポンサーがさらに提供してくれるかもしれない。
あるいは観戦者にとってみれば
例えば阪神百貨店優勝セールを期待して
阪神を応援している人もいるわけですし、
そういう応援スタイルもあってしかるべきです。


じゃぁ結局、その「勝つこと」と「楽しむこと」、
そのどっちが重要なのかというと
それは一概に、一般的に決められないのです。
人それぞれ野球と接してきた経緯は違うし、
あるいは社会背景として
野球に対する考えは時代や場所によって変わるのです。

重要なことは、
野球の重要性が「勝つこと」と「楽しむこと」の
二者のどちらか一方にある、のではなく、
どっちにもそれはある、ということなのです。
周りがミスターのように「楽しむこと」を重視し始めれば
野球の「勝つこと」の重要さを認識する必要があり、
また周りが五輪やWBCのように「勝つこと」を重要視し始めれば
野球における「楽しむこと」の重要性を知る必要がある、
ということなのです。

そう、そして、今、このWBCの日本の優勝を期待し始めれば、
私はこうやって、
日本が米国やベネズエラの一流選手と戦える、という
その貴重さを「楽しむ」わけなのです。
誤審やなんだと騒いでいるだけでなく、
皆さんも一度こういった側面について着目してみては
どうでしょうか。
そしてその上で皆さんが
「勝つこと」と「楽しむこと」のどちらをより重視するか、
それは皆さん自身にかかっているのです。