文化的再生産とホリエモン

いまさっき教育社会学の試験勉強をしていましたが、
その中で文化的差異生産の話が出てきたので、
ちょうどホリエモンショックも起きていることですし、
かるく触れておきたいと思います。

文化的再生産とは、社会化などの過程において、
子どもが親などから文化を受け継ぐということです。
(正確な定義かどうかはわかりませんが。)
具体的に理論化したものとしては、
まずバーンスティンのコード理論があるでしょう。
彼は、階層ごとに、
精密コードと制限コードのそれぞれが存在しているといいます。
後者はどちらかといえば、
「あのね、それでね、・・・」といった言語です。
それに対して、前者は、
接続詞などを多用して、より理論的に説明することができ、
例えば、二者間に固有の出来事についても
三者に説明することができる言語といえるでしょう。
(だから後者はそれを「制限」されているのです。)
そして、彼はこれが上位階層になればより前者を使い、
下位仮想になるにつれ、後者を使うことが多くなる、というのです。
もう1人重要な人物を挙げるとすれば、ブルデューでしょう。
彼は「ハビトゥス」という概念を持ち出して、
階層ごとにそれぞれこのハビトゥスが違うものなのだ、といいます。

こうした階層間の違いという、文化的再生産というものは、
社会的に根源的に存在するものであるようです。
もし仮に、社会の第一線で活躍しようとすれば、
学力や資金力をもつだけでなく、
こういった文化的な、
例えば趣味や言葉遣い、身なりなどといったところまでも
変革を起こさなければならないことになるのです。

さて、ホリエモンはなぜ受けたのでしょうか。
これは私の仮説ですが、
彼が堀江社長としてではなくホリエモンというタレントとして売れたのは、
彼の斬新性に庶民が惚れたからということがひとついえるでしょう。
どんな場所でもノーネクタイTシャツ姿、
わかりやすい言葉を使う、
時には夢のまた夢を熱く語る、
こんな、「最近の若者にはないような」タレント性を
彼が持ち合わせていたのです。

しかし、このように受けた人々は、あくまで庶民です。
そして、社長としてというよりは
タレントとして受けたに過ぎないのです。
彼は、野球にしろ、ニッポン放送にしろ、政界進出にしろ、
実業家としてはいつも除け者扱いにされてきました。
それはなぜなのでしょうか。

私はこう仮説を立ててみました。
それは彼が、そういった実業界第一線で活躍する人たちの
ハビトゥスを持ち合わせようとしなかったからなのです。
国家的・社会的に重要な会議というものに、
クールビズは別として)ネクタイ姿で出席するのは、
常識を通り越し、文化です。
言葉遣いにしろ、なんとなく彼は違った。
あるいは、個人至上主義的な考えを持ち、
いつか国家や社会を揺るがせかねない彼の逸脱性といったことは、
実業界第一線で活躍する人たちからして、
気に入らないどころか、
危険な人物として映ったのではないでしょうか。

堀江は確かに東大中退で学歴も悪くないし、
IT第一線で活躍しヒルズ族として資金力もあります。
しかし、彼はそれだけで世界の頂点に立てないでいる。
(というかこの事件を期に必ずや立てなくなるはず。)
それは、彼の文化とのふれあいがいかなるものであったか
ということが重要になってくるのではないか、とするのが、
私のホリエモンショックに対するひとつの見方です。