ユニバーシティ・ブルーの自己解決法

「ユニバーシティ・ブルー」というのは
京大の溝上先生の言葉です。
どんな意味か、というと長くなるのですが、
文字通り解釈すれば、「大学(生)の憂鬱感」です。
もうちょっと詳しく言うと、
バイトにしろ、授業にしろ、サークルにしろ、
いろいろ頑張っているのに何か憂鬱感を感じる、
もっと頑張んなければ、という強迫感に襲われている気がする、
といった現象が大学生間で増えていることです。
もちろん、これは私も例外ではありません。
授業にでることをポリシーにし、
バイトやサークルも頑張るのに、
なぜ、どことなくこころの不安定感を訴えるのでしょうか。


同志社で「サークル衰退」といわれる要因にあるのは、
私は、キャンパスライフの多様化にあるのではないか、
そう以前述べました。
多様化と言っても、単に多様化万歳ではなかなか問題があって、
同時にそれは人間関係の希薄化をもたらしかねません。

人間関係の希薄化は、
生活の拠点が失われる、ということでもあります。
徹夜をして何かを語り合ったり麻雀したり、
あるいは喧嘩をしても何か一つ大きいことを成し遂げようとする、
そういうことがなければ、なかなか人間関係というものは
深まっていきませんよね。
そういう活動が、生活の多様化によって失われたことが、
人間関係の希薄化を生んだのかもしれません。
その結果、キャンパスライフの拠点が、サークルではなく、
教室で出会う友達と話をするということに
移りつつあるように私は思います。
それを示すこととして、
溝上は今の大学生は、授業に出ることを重点化してきている、
と言います。

教室で出会うが、せいぜい一緒に昼飯を食べるくらいの関係、
その程度の友達になってしまった、
その結果は、いろんなことを語り合え、
喧嘩をしてもわかりあえるような、核となる友達がいない、
学生生活の拠点となるべき人間関係が希薄化したわけです。
こうして人間関係が不安定化したからこそ、
不充足感を覚え、
また、何かその中で模索しよう、模索しなければならない、
とする強迫感を覚えるのかもしれません。


ユニバーシティ・ブルーを感じたとき、
あるいは希薄な人間関係を打破したいとき、
私たちは、どうしたらいいか。
(溝上が『現代大学生論』の中で何を言っていたか、
ちょっと今本が手元にないのでわからないので、
これは、私なりにどうしたらいいか、考えていることです。)
それは、自分の見たことのない世界・関係を開拓し、
新しい自分の居場所を見つけることです。

ユニバーシティ・ブルーとは、
勝手な私の解釈によって言い換えれば、
学生間のコミュニケーションの希薄化、
ということでもあります。
コミュニケーションと言う言葉は曖昧なので
ここで明確にしておけば、広い意味の言葉、
「一緒に何かをやり遂げようとする上で、」(←ここが重要)
気持ちや言葉を伝え合うということ、としておきます。

何でもやってみようとすること、
今まで見向きもしなかったことに目を向けようとすること、
生活の多様化、多忙化は、
「忙しい」という言葉を言い訳に
こうしたことを学生に忘れさせてしまったのかもしれません。
あるいは、わかっているけどそれができないような、
そんな状況に追い込んでいるのかもしれません。
しかし、こうしたことを実践すること、
あるいは、せめて実践しようと心がけようとすることこそ、
新鮮なコミュニケーションというものが生まれ、
新たな人間関係が生まれるのだと思います。

居場所、すなわち学生生活の拠点とは、
そうした結果、生まれるのではないでしょうか。
多様化はここではもう言い訳にはなりません。
コミュニケーションの希薄化、
すなわち、ユニバーシティ・ブルーの自己解決法とは、
こうした新鮮な冒険心を持とうとすることにあるのではないか、
私はそう考え、またそれを実践しようとするわけです。